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話を上手にするコツとは(持論②)

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話を上手にするコツについての続き

前の話は、こちら

http://motochan1969.hatenablog.com/entry/2020/01/24/220826

 

(ちなみに、ハテナブログのエントリーを見ると、フォルダの構造が良く分かっていい。一日に22万も記事があるのか?普通ここはアルファベットの乱数でもいいぐらいだろう。脱線したので話を戻す

 

いま自分で気づいたのであるが、話を上手にするこつというのは、実は赤字に書いた部分みたいなことではないか?

 

例えばだが、テレビに出ている芸能人など、放送中にいろんなことがあっても、だいたい司会進行役や、ツッコミ主体のガヤ芸人などがスタンバイしているから、そういう人が大体リカバリーして、盛り上げることが大半である。

 

つまり、聞き役が居るという事が、すごく大事である。

 

おそらく自分の生い立ちを振り返って、考えるのであるが

自分には、家族や兄弟などの聞き役というのが常にいて、

その影響が色濃く残っているのではないかと考える。

 

生い立ちにさかのぼる

 

少々脱線するようだが、問題解決を行うには、それに至る原因分析が必須である。

ということで、自分の育った生育環境。とくに物心が芽生えるまでのことを

考えてみる。

 

うちの父親は、昨年亡くなったのであるが、死ぬ間際までずっと

母親に言われていたことは、まったく話をしないということである。

 

特に、話が出来ない訳ではないが、会話と言うものが、非常に少ない人だった。

かつ、何かを聞いて、何かを教えてくれるタイプでもなかった。

 

だから、結局、母親はいつも自分自身で、相手の分まで話をして、

自分で自分の気持ちを、整理付けていたみたいだ。

(こうなってくると、本当に結婚相手を選ぶ段階で、自分の人生って決まっているし、

そこに生まれる子供の運命までも、左右しているものなんだと実感)

 

そんな訳で、おそらく自分は、家の中でも母親との会話を中心に

これまで育ってきたと思う。

 

しかしながら、何か教えをもらったわけでもなく、絵本の読み聞かせも

してもらったこともなく、一方的な会話を聞かされていただけのような気がする

(無口な父親との会話に対する、たんなる受け皿のような存在だったようだ)

 

だから自分から、積極的な発言をすることで、自分が楽しい思いをしたことがない。

 

まして次男なので、常に家の中では、自分から話をしたりすることもなく

常に、以心伝心で周りとの協調を図ってきた子供だったようだ。

 

 そんな自分の生い立ちを分析すると、特に積極的に話せるようなことを

身に付ける機会なんてものは、特別には与えられてはいない。

 

物心がつく頃の状態としは、下記のような状態だった。

・人前での話をするにあたって、恐怖心のようなものを感じる

・特定の会話ができる友達に対しては、とことん話ができる

  

人前での話について

 

またまた脱線するが、テレビのすべらない話は凄いと思う。

深夜にボソッとやっていたころは、それこそプレッシャーなど少なかっただろうに、

最近は、ゴールデンの枠で、それも多くの芸人の前で、話をしなければならず

それは大変なことだと思う。

 

番組に出演することで、それはもちろん知名度やお金は貰えるだろうけど、

実際のところ、それをこなすには、相当な技量が問われる訳であって、

プロになるというのは、それこそ本当に大変なことだ。

 

しかしながら、最近はテレビ番組も、ほとんど録画で編集したものであって、

やはり失敗なんてのも裏では多々あって、それは放送事故とか言われるかもしれないが、実際に目にしているものは、ごく完成されたものなんだろう。

 

先日、会社のイベントで、某吉本の芸人らがやってきて、トークをやっていた。

もちろん芸人なので、本番でも素人よりも何倍もすごいと思った。

(しかし、彼らでさえ、実際には裏で、かなり練習をしているのだろう)

 

特に、漫才などのコンビ芸では、それこそ練習に練習、練習を重ねているのは

想像に値する。

 

話は脱線するが、音楽グループなどがライブでも演奏することがあるが、

彼らは、まさに練習に練習を重ねている。

(もちろんアドリブで即興演奏をすることもあるだろうが、これはごくわずかだ。ジャンルとしてもJAZZなどは、そうかもしれないが)

 

そうなってくると、やはり技術をある程度もっているということが大前提だ。

 

これは別に話だけのことではない。

 

特にスポーツ。

 

このスポーツというのは、非常にやっかいだ。

スポーツなんていうのは、いつどこに玉が飛んでくるのか分からないし、

それこそ臨機応変に、その場に対応する技量が必要だ。

 

ただ、考えてみれば、スポーツと言うのも、実は単純であって、

ルールが決まっているから、自分がすべきことが非常に限定されている。

 

つまり野球で言えば、バッターは打てばいいし、守備はボールを受ければいい。

(かりにスポーツにルールが無かったらどうだろう。それこそ野球のプレー中に

ルールを変更してサッカーになったらどうなるだろう。それこそゴールはどこ?

どこにボールをければいいの? え、この小さなボールを蹴るの?みたいな。)

 

少々話が雑なので、もう少し同系統のスポーツで考えると、

たとえば、ハンドボールとサッカーにしてみると、さっきまで足で蹴っていたものを

いきなり救い上げて、手で持ちかえるような状況だったとして

それこそ、一瞬頭の中によぎるのは、混乱であって・・・

しかしながら、ハンドボールとサッカーのルールを知っていれば、

単にルールを入れ替えるだけであって、実はスポーツとしても成立し、

無事に試合は継続されるだろう。

 

つまり、スポーツと言うのはルールがあって初めて競技できるものだ。

 

もし、これが人前で話さなければいけない場合は、どうだろうか?

 

芸能人にこれを当てはめてみると、さっきまでバラエティ番組に出ている状況で

いきなりニュース報道をやれと言われるようなもんだ。

 

そういうことを考えると、話のスタイルというものが、つまりフレームワークになってくる。

 

話のフレームワーク

基本的に、人前に立って話をするというのは、だいたい自分の当番が回ってくるのが一回きりだ。

(一回きりなので、そこを乗り越えるだけで、明日からプレッシャーから解放される)

 

しかしながら、その一回があるがために、本当に憂鬱になってくる。

 

これが待ち遠しくてたまらないなんて、そんな状況ってあるのだろうか?

 

苦手意識。

 

それは、根本的には苦手意識になってくるのかもしれない

 

成功体験

 

いろんなところで言われることだが、自信をつけるには、やはり成功体験が必要だ。

一度でも成功すると、自分でもできるのだ!という自信につながるし、

その自信を得ることが、成功を続けるための糧となるだろう。

 

失敗体験

 

自分の場合は、この失敗体験というのが、どうしても自信喪失につながっている。

 

失敗の克服

 

失敗を克服するということは、けっこう大変なことだと思う。

 

失敗を恐れない

 

これだけだったら、なんとなく失敗ばかりやっていたら、恐れなくなるのかもしれない

 

失敗の分析

 

失敗したら、どうしてそれが失敗したのかを振り返ったりすることが

実は非常に重要だ。

職場で、何かをミスしたときに、隠したりしたりするよりも、

失敗を反省として、その経緯を振り返り、再発防止をするというのが大事だ。

 

だから失敗には、失敗してもいいやとか、どこかで適当なことを考えない限り

失敗しないように、きちんとやっているという流れの中で、どこかに失敗につながる原因があって、それを突き詰める必要がある。

 

自分の話の中でよくあるのは、焦り・・・なのかもしれない

どうしても、話をさっさと結論付けて終わらせようとするような、

焦りのようなものが来るのかもしれない

(だいたい人の話を聞いていて、この話長いなあ。。。なんて思うと、

逆に自分が話をしているときに、相手のつまらなそうな顔を見るのが怖くなってしまう)

 

まとめ

さて、2回目の話として、これまでツラツラ書いてきたことを、

まとめてみると、少し話のコツと言うのが見えてきた気がする。

(しかしながら、自分ではまだ10話中の2話ぐらいの感覚だが、

この話がどこで、どのような結論に至るのかは、自分でも分かっていない。

そもそも、思い付きで書いているから、そもそも気分、体調にも寄る。)

 

ただ、ひとつ大事なことは、同じところをグルグル灯篭巡りをしないと

いうことである。(こうして、書き出すことで、同じ思考になったときに

次は違う道に進むか、それとも同じ話にしても、次には違う結論が描けるかもしれない)

 

その① : まずは自分の気持ちをベストな状態に持っていく

(失敗を意識しない。アルコール?ハイテンションなドラッグ? ちょっと結論が違うけど・・・そういうサプリメントを飲むというのが、即興的な対策か? ちょっと違うと思うけど、あくまで持論)

 

その② : 話のフレームワークを考える

(これって、意外に大事。小学校の作文で習ったのが、起承転結。

いまさらながら作文の練習かよ~。そういえば、作文の宿題って、やった記憶がない。

ここが自分に欠けている一番の要素かもしれない)

→ 今度は論文とか、スピーチとかの、児童書の類を当たってみるか!(まずは、そこまで戻らないと、おそらく今の自分は変わらないと思うから)

 

その③ : オチを考える

(終わりよければ、すべて良しと言う。話も同じで、少々の失敗があっても、

それをカバーする、自分への突っ込み。これは相方でもいない限り、無理なので

そこらへんは、サッカーのリフティングと同じで、話を自分の足元に引き寄せる技術が必要。ジャグリングみたいに、バランスで魅力を見せるのもあり。逆立ちのようにバランスで保つというのもある。つまり、あらゆる芸と言うのは、最後が大事だ。)

 

では、オチと言うのは、話の場合はそうだが、つまりコレが言いたかったのか~

というのが、ポイントだ。

(つまり何がいいたいかと言うと・・・って感じで、まとめを最後に切り出すことが必要で、これが無かったら放送事故。いや会話事故のようなものだ)

だから、最初に何が言いたかったのか? それを最初に考えよう

 

これらからは、事細かに一つ一つの課題について、いろんなケーススタディをやっていきたいと思う。